蒜山地質年代学研究所におけるK-Ar 年代測定の業務を振り返る
八木 公史
1.K-Ar 年代測定との出会い
筆者とK-Ar 年代測定との出会いは広島大学大学院博士課程(後期)在籍時の2001 年10 月にまで遡る.筆者は四国中央部三波川帯の上昇過程の研究の最終段階で,変成帯に時間軸を挿入する必要性が生じていた(それまでの経緯は,「地質技術」創刊準備号No. 0 の八木(2006)に書かれている).当時,指導教官であった竹下徹教授(現在,北海道大学教授)と親交のあった岡山理科大学自然科学研究所の板谷徹丸教授を紹介して頂き研究室を訪問した.
訪問早々,筆者は板谷教授から研究発表を行うように指示され,板谷研究室で年代測定の必要性を話した.その時同席したのは,板谷教授の他に,辻森樹博士(2000 年4月から1 年間,蒜山地質年代学研究所(以下,蒜山研究所と略する)に在籍,現在,岡山大学地球物質科学研究センター准教授)と,後に蒜山研究所の年代学グループで一緒に仕事をすることになる郷津知太郎博士(当時,神戸大学大学院博士課程(後期)在籍)である.発表後,板谷教授からK-Ar 年代測定を行う事を快諾され,17 試料の泥質片岩から白雲母の分離濃集を始めることになった.最初に,板谷教授と辻森博士から鉱物分離の基本的な流れをご教授頂いた.広島大学で岩石切断,粉砕及び篩分けを行い,板谷研究室で電磁分離,塩酸処理及びタッピングを行った.
当時,板谷研究室で滞在する者は,岡山理科大学から4km 程度離れた場所にある専用の宿舎で宿泊していた.板谷研究室には国内だけでなく,国外からも毎年多くの学生や研究者がK-Ar 年代測定を行うために訪れる.板谷教授は訪問者が格安(1 泊500 円)で宿泊できるように民家の一角を借りていた.この宿舎は外国の方が長期滞在することが多いためか,「インターナショナルハウス」と名付けられていた.筆者はそこから毎日自転車で通う面倒を回避し,格安の宿泊代さえも浮かすために辻森博士の研究室に寝袋で泊まった.インターナショナルハウスに宿泊した者は,測定を終えて帰路につく前にノートに滞在期間,所属等を記入することになっていた.そこには大学の研究者や大手地質・建設コンサルタントでよく耳にする名前が残されている.筆者もインターナショナルハウスに宿泊して,そのノートに名前を残しておけば…今となっては岡山に何日くらい滞在したのか記憶が定かでない.
鉱物分離が終わると,次はK 分析である.自身が鉱物分離した白雲母の純度が良いのか楽しみであった.初めてのK 分析は辻森博士と一緒に行うことになった.最初に試料を入れるテフロンビーカーの洗い方だけ板谷教授に教わったと記憶している.K 分析は1 セット(3 日間)で18 試料実施することが可能であるが,1 試料につき最低2セット行い,再現性を確認する必要がある.辻森博士の試料が1 試料あり,筆者が17 試料(合計18 試料)であったために,辻森博士にはK 分析を2 セット指導して頂くことになった.板谷研究室でK-Ar 年代測定を行う場合,K 分析と言えば,板谷教授が指導することになっている.板谷教授の指導の厳しさは,後に気付くことになったが,幸か不幸か筆者はその指導を受けたことがない.板谷教授のK
分析のオリジナルのやり方を知らない筆者は,厳しく指導されている学生のところに時々顔を出し,やり方の確認をしたことを覚えている.17 試料のK 分析(2 セット実施)は,すべて高純度で再現性があり,鉱物分離が上手く出来ていたことが分かった.
次はAr 同位体測定である.当時,Ar 測定と言えば,岡田利典博士(蒜山研究所の初代代表取締役,板谷研究室出身)である.岡田博士は質問をしてもなかなか回答をしてくれなかった.それは質問の内容が論文や書籍に書かれているなど,調べれば分かるような事だったからである.岡田博士が教えてくれるのは,測定機器の操作方法等がメインであった.筆者は今まであまり経験が無いその指導法に戸惑いながらも新鮮な気持ちになった.岡田博士の厳しいご指導により,無事にAr 測定を終える事が出来た.小さい失敗すらなく全てを終える事が出来たのは,ご指導頂いた皆様のお蔭であるが,筆者がK 分析とAr 測定をもう一度したくない一心であったのも事実である.板谷研究室を出る時にはもう二度とK-Ar 年代測定をすることはないだろうと思いながら岡山を後にした.
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